「シノニム」
作曲・作詞:蒼風そうか/編曲:めと/歌唱:薫篠子/歌唱:8
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——全てを分かりあうことはできない。けれど、分かろうと歩みよる努力はする。そうやって、人は誰かと繋がるんじゃないのかな

【7月19日 シノニム】

 僕の手には通知表が握られている。いつもなら一喜一憂する存在だが、今はそれほど心を動かすものではない。もちろん全く気にならないと言えば嘘になる。ちゃんと中身は確認した。内容については大方予想通りだったとだけ。自分に対する評価はこんなものだろうと納得した。

 もうすぐ一学期が終わる。朝一番に全校集会が行われた。そして今、各々通知表が手渡されている。このあとは長期休暇の諸注意と今学期最後の挨拶が控えていた。それが終わればいよいよ夏休みだ。この数ヶ月間、本当にあっと言う間だった。密度もあったと思う。
 僕は伝えなければならない、大切な言葉をいくつか胸に秘めていた。ここ数日悩み続け、そして選んだ。後悔はしない。したくない。だから、彼と話さなければならない。早く二人きりになれたらと、そればかり考えていれば時間は刻々と過ぎてゆく。

 先生が黒板に緊急時の連絡先を書き、夏休みについてのあれこれを話し終える。

「それではこれで一学期を終わりにする。くれぐれも羽目を外し過ぎるなよ」

 改めて生徒一人一人を確かめるように見渡した。クラス全員が先生の挙動に注目している。今か今かと、固唾を呑んでその一言を待っていた。

「よし、それでは解散。よい夏休みを」

 教室中がどっと沸き立つ。今この瞬間から夏休みが始まった。我先にと外へ飛び出す者、グループになって話し始める者、先生に相談をする者。三者三様だが、みんなそろって浮き足立っていた。夏休みは誰しもが望んでいたものだった。僕と、きっと彼を除いて。

「夏休みだって、いいんちょ」

 前の席が空くと、そこに吉川くんが座った。

「そうだね」

 一人、また一人と教室から出て行く。その姿を見送りながら、僕たちはのんびりと雑談をする。互いに立ち上がる気配はない。

「窓の外、見た? 雲がもくもくしてる」
「入道雲だよ。夏の空だね」
「さわってみたい」
「いいね、それ」
「夏は暑いから嫌いなんだ。クーラーがないと無理。溶ける」
「僕も暑いのは苦手かな」
「でも、あの雲は好きなんだ」
「夏が来たなって思うよね」
「白がまぶしい」
「うん」

 外の景色が眺めることができるのは窓際の席の特権だ。言葉のキャッチボールを楽しむように、なんてことない話をする。そんなとき、ふと最近耳に馴染んだ声が届いた。

「和泉くんに吉川くん」

 木下くんが席までやってくる。彼の親しげな笑みに心が和む。

「夏休み前の挨拶をしにきたんだ。じゃあね、二人とも」
「うん、木下くんもね」
「次会うときは補講かな?」
「そうだね。アイスはそのときにでも」
「あ、よかった。覚えていてくれてたんだ」
「もちろん、約束したからね」
「楽しみにしてるよ。それじゃあ、僕は井上を待たせているから、また」

 僕と、それから吉川くんの方を向いて彼は手を振った。それにしっかりと振り返す。吉川くんは一瞬固まっていたが、それでもぎこちなく手を動かしていた。二人で彼の背中を見送る。

「あのひと……」
「木下くんだよ」
「アイスって?」
「一緒に食べる約束をしたんだ」
「へえ」
「吉川くんも一緒だよ。それから、ほら、木下くんと一緒にいる井上くんも合わせて4人で食べようって。……僕のおごりで」
「ははっ」

 おごりの部分を小声で補足すれば、楽しげに吉川くんは笑った。

「吉川くんはどんなアイスが好き?」
「氷」
「氷とアイスは違うんだけどな……」
「まるい氷を食べてみたい。コンビニにあるのを見かけた」
「まるいやつはウイスキーを飲むときに入れるものだよ」
「そうなんだ」
「氷みたいなアイスもあるから、それを食べるっていうのはどうかな?」
「そうする。いいんちょは何が好きなの、アイス」
「僕はストロベリー系のやつかな」
「アイスもいちごが好きなんだ」
「うん」

 騒々しかった教室は段々静かになってゆく。僕たちはまだ立ち上がらない。

「ねえ、いいんちょはお昼どうするの? 家で食べる?」
「どうしようかな」
「考えてなかった?」
「うん。せっかくだし、どこかでごはんを食べて帰る?」
「寄り道?」
「そうだよ」
「いいね、それ」

 話題は泡のようにぽつぽつと浮かぶ。言葉を重ねるほど、周りの気配はなくなり声も小さくなった。一つ、二つと消えてゆく。そして気がついたときには、ほとんど聞こえなくなっていた。

「おーい。教室に残るのもほどほどにな」

 扉の前から先生が声をかける。

「あ、せんせー」
「すみません、もう少ししたら出て行きます」
「いや、急ぎではないんだがな。まあ、多分お前さんたちが最後になるだろうし、戸締りだけよろしくな」
「分かりました」
「りょーかい」
「おっと、忘れるところだった。吉川は補講、現代文は必須参加だからな。ちゃんと来いよ」
「えーっ」

 吉川くんの眉間に皺が寄る。不満そうに頬を膨らませていた。そんな彼の姿を見て苦笑する。少しでもやる気が出ればいいと、僕はまだ伝えていなかった情報を教えた。

「吉川くんにはちゃんと伝えてなかったんだけどね、僕も全教科分補講に参加するんだ。だから、現代文は一緒に受けよう?」
「え、いいんちょも赤点取ったの?」
「取ってないよ。でも任意で受けていいみたいだし、せっかくだから全部出ようと思って」
「行く!」

 目を輝かせる彼を見て、くすっと笑いが込み上げる。こういうときの吉川くんは分かりやすい。先生はやや呆れた様子で僕らのやり取りを眺めていた。

「まーったく、和泉がいるだけでころっと変わるんか」
「もちろん」
「はいはい。それじゃあ十分気をつけて夏休みを楽しめよ。またな」

 先生は軽く手を振り、僕らを一瞥する。そして背中を向けると教室から出て行った。がらがらと音を立てて扉が閉ざされる。もう、ここには僕たち以外に誰もいない。

「二人ぼっちだね」
「うん」
「なんか、懐かしい」
「そう?」
「うん」

 会話が途切れる。なんとなく僕も彼も窓の外を眺めていた。遠くから微かに喧騒が聞こえてくる。

「いいんちょはさ、帰らないの?」
「吉川くんこそ」
「ボクはどうしようか。いっそこのまま学校に泊まろうかな」
「先生に叩きだされるよ」
「えー」

 軽口を言い合えば、再び沈黙が訪れる。けして嫌な静けさではない。ぬるま湯のように心地よい。しばらくの間、浸っていてもいいだろうかと思ってしまう。吉川くんへ言いたいこと、伝えたいことはある。だから、話題を切り出すタイミングを図っていた。けれどもこの雰囲気を壊すことには少しだけためらいがある。

「ねえ、いいんちょ」

 名前が呼ばれる。僕を表す言葉が一切含まれないあだ名だ。けれど、もうすっかり聞き慣れてしまった。

「なあに?」

 返事をするも、それきり吉川くんは何も言わない。彼もどうしようか迷っているのだろうか。顔を見れば、どこか戸惑っているような、悩んでいるような、そんな表情を浮かべていた。——いい加減、僕は言い出すべきだろうか。ずっとこのままではいられないことは知っている。それは散々学習してきたことだ。もたもたしていたら日が暮れてしまうかもしれない。そう思えば意志は定まる。気合いを入れるように、ぎゅっと手を握り締めた。

 さあ、前へ進もうか。




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